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【宇都宮市】白い輝きの三大カッターモニッケンダム
日本の歴史はなじみが多いと思いますが、海外ブランドの歴史って、なかなか知る機会はないと思います。そこで
今日は世界3大カッターのうちのもう一つ、モニッケンダムのお話をしたいと思います。
初代ルイは、マスターカッター
ルイ・モニッケンダムは当時のダイヤモンド流通の中心地アムステルダムで卓越した技術を身につけマスターカッターとして認められていました。
1890年ダイヤモンドカッティング会社としてモニッケンダムを創立しました。
アムステルダムでモニッケン社の技術は高く評価されましたが、時代は第一次世界大戦へと突入し、1914年にルイは、英国への移住を決意します。宝石商の街
ハットンガーデンに本社を設立、王室の別荘地としても有名な街、ブライトンにカッティング工場を作りました。自らの高度な技術を英国の職人へ伝えることで、高品質なモニッケンダムダイヤモンドをつくりつづけ、彼の情熱は英国のダイヤモンド産業の発展へ大きな役割を果たすこととなります。
モニッケン社は2代目アルバートにかわり、ルイのダイヤモンドに対する想いを受け継ぎ「原石に命を与える」を掲げました。美しい原石を生命の輝きを放つダイヤモンドへ、とカッティングすることに邁進します。1920年に社名を A.MONNICKNDAM.LTDとし、ニューヨークの5thアベニューシシャつも構え 世界へ向けて英国発のダイヤモンドを展開していきます。
アルバートはカッティング技術の向上に努め、優秀なカッターを育て続け、美しいダイヤモンドを作るにふさわしい設備の工場を新築し、専門的な技術は、業界でも高く評価されつづけ、1929年デビアスがCSO(中央販売機構)をロンドンに設立したとき、サイトの原石を入手した最初の顧客がアルバートでした。上質な原石を見極め、命を与えるようにカッティングしたダイヤモンドは世界の名門ジュエラーへ提供するようになりました。
世界初のダイヤモンドグレードを考案
1938年モニッケンダムが世界で初めて、ダイヤモンドのカラーとクラリティの品質を表示する格付けシステムを考案しました。カラーはアルファベットで「A」から始まり、クラリティは数字の「I」から格付けしていました。現在ダイヤモンドのグレーティング基準「4C」を設立したGIA(米国宝石学会)がカラー評価を「D」から始めたのは、先んじて考案していたモニッケンダムの「A」からに敬意を表してのこと、と言われています。
1948年、エリザベス女王のご結婚のお祝いに寄贈されたダイヤモンドの原石をモニッケンダムがカット。見事なエメラルドカットに仕上げられ、世界中より承さんを受け、現在の王冠にはモニッケンダムが理科っとされたダイヤモンドが留められています。英国王室からの信頼を高め、現在も王室所有のたくさんのコレクションの修理が必要な時、モニッケンダムが指名されます。また、世界を驚かせた サークルオブクラスタ- ブリリアントカットのダイヤモンドを真上から見ると、サークル上に磨き上げられたガードルまでもがまるで美しい光りの輪のように感じられることから サークル オブ クラスターと名付けられ、モニッケンが初めて開発した技術です。
1966年にはアルバートの息子、アーサーが入社し、ダイヤモンドの深い知識をまとめ執筆。世界でも認めらエリザベス女王から、「英国産業賞」を授与されました。
1981年直径の4代目のオーナーに代わり、今もなおポリシーを守り続けています
2008年にブルーダイヤが発掘され、モニッケンが選ばれ、何か月にもわたりプランが練られて、カット、磨き、あげられたダイヤモンドは7.03ctのクッションカットに仕上げられ、見るに素晴らしいダイヤモンドであることが証明されました。
9億1600万の落札価格が付き、無傷の美しさと卓越したカットは高く評価されました。
まばゆい白い、豊潤な光、 身に着ける人に輝きを贈るモニッケンダムダイヤモンド
是非一度ご覧になってみてはいかがでしょうか?